2008.02.27 先週末は……
先週末は、個人でも加盟できる地域の労働組合があるのですが、そこの学習&交流合宿で不在にしておりました。

1日目、家を出るや否や、猛烈な風が吹き荒れていましたが、暖かい南風でした。ですから、ポカポカ陽気というわけではありませんでしたが、温暖な日中でした。

参加者全員で、労働法のあらましや今の問題などを学習した後、夕食まで時間があったので早速温泉へ……。眺めの良い露天風呂と思っていたのですが、良い眺めを楽しむには、1度お湯から上がって全裸で塀の上に首を出さなければなりません。一瞬チャレンジしましたが、夕方はそこそこ冷えてきましたので、あえなくそこで断念。

お風呂でサッパリした後、浴衣に着替えるはずだったのですが、慌てて部屋から出てきたためにドジをしました。
帯を忘れ、浴衣を2着持ってきていました。アハハ~!!
普段着で部屋に戻り、浴衣に着替えました。

その後、大宴会場……和室でっていうのが私は苦手だったんですが、そこで夕食。
まあ、普通の宴会コースかな。お造りや一人鍋、その他です。

二次会まで少し時間がありましたので、部屋に戻りました。途中、渡り廊下から大阪平野を見下ろせば……雪が降り始めていました。

二次会では下は20代前半から上は大先輩の方まで、それぞれ興味の赴くままに、というか自然発生的?に幾つかのグループに分かれて、それぞれ自由に盛り上がっていました。

アコーディオンの生演奏も飛び出して、学生時代に何度か行ったことのある「うたごえ喫茶」を思い出し、先輩方に混じって色々と歌っておりました。それこそ闘いの歌から平和の歌、青春の歌、学生の歌……。

私は少々呑み過ぎたようで*(汗)*二次会の最後の方、あるいは部屋に戻ったという記憶が……薄れています(TT)
後で聞けば、なんでも朝4時ころまで熱く語り合っていたグループもあったとか。

翌朝目が覚めると6時前……少し頭痛がするのに加えて、やっぱ息が酒臭い……なんだか少し酒に弱くなったのかな、と感じました。

朝食まではまだ時間がありますので、雪見露天としゃれ込んでみようか、と思い、大浴場に行きました。
しかし昨夜からの雪に加えて朝も吹雪いた直後だけあり、お湯から上がって眺めを楽しむ……にはちょっと無理がありました。またもや一瞬で中止。

朝食は、和洋中のバイキングでした。

その後、浴衣から普段着に着替えようとして、またしても衣服に関するドジ……今度は、靴下の替えが幾ら探してもないのです。
同じ靴下を2日続けて履くのは嫌だったのですが、幾ら私でもこの時期に素足は辛いので、仕方なくそうしました(TT)。

グループ討論では、前日に学んだことを皆で深め合いました。

全体のまとめで、各グループの討論を全体に返した後解散、それぞれの地域ごとに帰路に着きました。
一旦は晴れ上がり、雪も溶けたのに……お昼前後には大変な吹雪で視界不良でした。

私より一回りもあるいはそれ以上も若い世代にも、労働運動が広がりつつあることに確信を持ち、自分自身ももっと頑張らねば*(グー)*と……元気をもらって帰ってきました。




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2008.02.21 …20年…

2月21日か……。馴染みの酒屋さんでもらったカレンダーに満月の表示。今日の大阪は晴れの予報。今夜は綺麗なお月さんの姿が見られるかな……。

父がなくなって丁度20年。
昨日はお供えの和菓子を買って帰宅した。

さすがに20年も経つと悲しみも寂しさもかなり薄れてくる。

井上陽水の歌で、「十年はひとむかし……」というのがある。世間でも広く「十年ひとむかし」といわれる。

O・Henryの小説に「20年後」というのがある。20年後の再会を誓い合った親友同士、確かに再会を果たすのではあったが、かたや警察に、そしてもう一方は犯罪者になっていて、確かそんなストーリーだった。
20年という歳月の長さは、人をすっかり変えるのには十分だ、というフレーズが作品中にあったかな……。

齢を重ねるにつれ、時間の経過が早く感じられる、とよくいう。確かに1年なんてあっという間。10年前にしても、つい最近のように思えてならない。
でも、20年……。この世に生を受けた赤ちゃんが成人する期間でもあるんだな。

地域によっては「2度目の成人式」的な行事のあるところもあるとか聞く。

10年後の自分、20年後の自分……十代、二十代の当時描いていた未来像から大きくそれている……。

果たして10年後、20年後、自分はどうしているんだろう……。

これからでもしっかり立て直すしかないな。

よし、やろう!!!

*(グー)**(グー)**(グー)*




先週おこったアメリカ海兵隊による強姦事件についてはまた後日どこかで書く予定にしております。

この事件からたった1週間も経たないうちに、アメリカ兵による万引きだ、やれ飲酒運転だ、そして今度は酔っ払って早朝に住居不法侵入とは……!!

究極的には、日本もあらゆる意味で独立していかなければならないのでしょうけれども……日米地位協定の迅速な見直しが必要です。

綱紀粛正だとか言ってる場合ではないように思えてなりません。



市政刷新……を掲げて京都市長選挙に臨まれた中村さんが、桝本市政の継承を掲げる与党候補相手にたった951票差まで詰め寄りました。勝ったのは門川さんでした。

19年前の夏、田辺朋幸さんに木村万平さんが詰め寄った321票という数字を思い出します。

この選挙戦を頑張りぬいて、ここまで詰め寄った中村さんと陣営の方々のご健闘にはこころより感謝の意を表明したいと思います。

また、小雪もちらつく寒空の下、投票所まで足を運ばれた有権者の方々の勇気と良識にこころから拍手を贈りたいと思います。







以下に書く内容は、Cafeの友だちや先輩方、あるいは仲が良かったけれども少し疎遠になってしまっている方々……とのやりとりなどでも触れた話題だったと思う。

人間は、文字情報でどの程度意思疎通がはかれるものだろうか。一般的に、大体3割前後と聞く。

じゃあ、後の7割くらいは何か。

人と人とが対面して話するとしよう。そのときのコミュニケーションには、顔の表情や身振り手振り、あるいはジェスチャー、または腕を組むとか、舌打ちをするなど、何気ない仕種も相手の気持ちを知る重要な手がかりだ。勿論それら以外にも、話し声の大きさやイントネーション、アクセント、スピード、間、これらもまた大切な手がかりに……なり得る。
そういった、ノンバーバル・コミュニケーション(非言語的意思疎通、言葉によらない意思伝達)の方が、7割近い。

ということは、ネットやメールのみでの意思疎通、これは約3割の部分で勝負していることになる。

色んな方々の日記などを拝読して……私はどうも感情移入しやすい方なのか、ついつい面白い体験が書かれていたら爆笑し、悲しい体験が書かれておれば涙ぐみ、怒りの体験が書かれていたらときには同じように怒髪天を衝き……そんなこともある。

ことば、って……本当に不思議だ。

同じ単語を1つ持ってきても、それがイメージするものは人によってみんな違う。

例1……「りんご」
真っ赤で大きなりんご。甘いりんご。昔ながらの酸味の強いりんご。歌手の椎名林檎。アレルギー源。ジュースの材料。農作物。お菓子の材料。智恵の果実。アダムとイブ。

例2……「馬」
競馬新聞の名前。競馬に出走する馬。金儲けの手段。軍隊の移動手段。サラブレッド。アングロアラブ。芦毛。黒鹿毛。鹿毛。尾花栗毛。栗毛。トウショウボーイ、のような具体的な馬名(ダーレイアラビアン。バイアリーターク。ゴドルフィンアラビアン。ディープインパクト。シンボリルドルフ。トウショウボーイ。オニマリオー。ニシノフラワー。アドラーブル……)。ばんえい競走。移動手段。

勿論他にも沢山あるだろう。思い浮かべるものは様々だ。

このように、ことばを伝える、ということは、その向うにいる相手がどう受け止めるのか、人によって、つまりその人の性格や思考回路、生育史や生活環境、あるいは置かれた社会状況や現在従事している職業などによって、随分と違ってくる。同じ日本語を使う日本人でも。

ネットのみよりも電話で話す、電話よりも直にあって話す方が、より意思疎通が取りやすいのはそういった理由によるものなんだろう。

ネットでのやりとりが頻繁になってくると、段々その人とより一層密なコミュニケーションを取りたくなる。電話で話してみたり、あるいはお目にかかってお話させて頂きたくなることもある。それらはおそらく、コミュニケーションのより一層完成に近い形を所望するように、人間という生き物はできているのかもしれない。

だが実際は、大半の方々とは文字情報のやりとりがメインだ。
あるいはときにそれを補う手段として、感嘆符や疑問符、あるいは絵文字、顔文字、そういったものを用いることもある。だが、基本的には文字情報をより円滑に伝えるための潤滑油に過ぎないのかも知れない。

ということは……ことば……慎重に選んで書いたりしてはいるつもりだったけど、やっぱりより一層慎重になった方が賢明なのかもしれない。

Cafeで色んな方々と交流をさせていただいていると……これは実に不思議なことなんだけれども、意図せずして、つまり知らずしらずのうちに他の方々の文体やフレーズが少しづつ自分のそれらに入り込んできたりするような感もなくはない。

そんなことをふと思いながら、元会員さんのHPの中のBBSに立ち寄らせていただいたら、……心の中に住む鬼について、節分の日にちなんだメッセージがアップされていた。
詳細は省くけれども、私たちひとり1人の、心の中に住んでいる鬼、完全に追っ払うことができる人もいるんだろうけれども、そうじゃない場合……まあ、こっちが圧倒的に多数なんだろうな、これは上手にコントロールして、うまく付き合っていくことも大事なんだと……そういう趣旨のことを書いていらしたように私は受け止めた。

世界の平和って、戦争がなくって、争いもなくって、どの国もみんな仲良く、ってことだと思う。勿論、にらみ合いやいがみ合いも……ね、なくなることだと思う。

地球環境も守っていこうと思えば、無駄な戦争なんかなくして、武器なんてさっさと捨て去ることだ。

そういう状態でも、個人レベルでは完全にこころの平穏が保たれているかどうかは……それは分からない。だって、まだ経験してはいないから。
だけど、少なくとも今よりは安心かつ平穏であろうことはなんとなく想像できる。
けれど、個人レベルにおいて……こころの中の鬼や、こころの中の武器、これもきちんと上手にコントロールしないと、こころの平和も平穏もないような気がする。

私たちはCafeにいる以上は読み手であると同時に書き手でもある。
読むこと、読解にあたっては、誤解や曲解のないように、十分に注意しておかないと、ときに歪んだ解釈のままで思い込みを続けたりあるいは深めたりしてしまう。すると、余分に精神的エネルギーを消耗してしまう。書き手の意図とは全く違った解釈を為した場合、特にそうだ。
また、書くこと、表現にあたっては、少しでも多くの読み手に意図が伝わるように細心の注意を払わねばならないのかもしれない、と考えてしまうこともある。
まあ、勿論……そんなことを言い出せば、何にも書けなくなってしまうんだが。

別に私は皆に偉そうな能書きを垂れるつもりもないし、もっと心して書こうなどとアジテーションするつもりも毛頭ない。飽くまでも私自身に対する戒めである。先日も事実誤認のままに日記を書いて大変情けない思いをしたばっかりだ。

ただ、ことばというものは、いや、正確に言えばネット上の文字情報というものは、ややもすれば……その文字の向うに、それを読む人がいる、そして考える人がいる、つまり、ひとりの、あるいは一個の魂を持つ生身の人間がいる、ということを……失念しそうになる可能性も……はらんでいる。

だから、ときには喜ぶことや悲しむことがあるけれども、それが「誤った」喜びや「誤った」悲しみ……になる可能性も十分あるわけだ。
何の悪気もなく書いたつもりであっても、あるいはCafe上で何ら悪気ないちょっとした行いであっても、受け止める人によっては……ときには大きなダメージになったり、あるいは書き手の意図に反して読み手のこころにグサリグサリと突き刺さるナイフにも十分になり得る。

決して誰をも傷つけることのない日記でありたい、という趣旨のことを……あるCafeの先輩はページに掲げていらっしゃる。

一個人の思考力や配慮というものにはどんなに頑張ってみても、自ずと限界が生じてしまう。そんなとき、ふと、先輩の掲げておられるこのことばを思い出すようにしている。

今これを書いて大丈夫なのかどうか。不快に思う人がいないと断言できるか。
勿論ひとの感受性やものの見方考え方はひとの数だけあると言ってよいだろうから、読んでどのようなとらえ方をするのかは人それぞれだ。

極端な話、安倍さんや町村さん、福田さん、橋下さんが私の日記をもし読んだら不愉快になるに決まっている。
100%、不愉快なひとがいない日記……残念ながら、自分の水準ではまだまだ無理がある。
彼らにとっては、言ってみれば批判されてこそのお仕事的な側面もあるのでどうかこれらはご寛容願いたいというのは私の身勝手か……。

しかし、問題は……ごく普通のCafe会員さん方……一般人の方々、ささやかな日常を生きている方々が圧倒的多数と思うけれども……が、意味や意図を正しく読みこなせるかどうか、ということを……ふと考えた。

昨年末から今年の正月明けくらいにかけて、連綿と自分の生育史について書き連ねた。おそらく会員、非会員を問わず、どきどきはらはらしながら読んでいた方もおられる可能性も……少しは念頭にはあった。

私がCafeに来るかなり前、そもそもこの「日記」欄、最初はなかった、と聞いた。
ところが、当時おかしな会員があちこちで変なマルチまがいのビジネスをしようとしたり、あるいは誹謗中傷やあおり、荒し、そんなのが沢山あって、相当に無茶苦茶な時期があったらしい。そんな中、当時女子高生のある会員が、みんなで日記を書くことを提案し、それがCafeというネットコミュニティの中に相当な平和をもたらした、と「言葉を愛し、表現を愛する」方の「OCNCafeの歴史」には書いてあったように思う。

その方の渾身の力作に、現在はアクセスできないのが……残念ではある。

私の中の暫定的な結論として、ネット上では、文字情報でのやりとりの意思疎通がメインだから、つまり3割で思うことを伝えなければならないんだから……だからこれからも一層、十分に注意しつつ……折にふれ、何かあれば発信していこうと……思っているところである。