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発達障害を持つ男性が殺人の罪を問われていた裁判員裁判で、検察の求刑より重たい量刑の判決が出た。

しかもその理由を読むに、犯罪をまた犯しそうだから長く刑務所に閉じ込めておけ、みたいなことが書かれていて、唖然ともしたし、驚きもした。と同時に、怒りもまた禁じ得ない。

被告側は控訴したそうだが、本当に、おかしな判決だと思った。

しかしまた、あゝ、これが日本社会の今の現実の縮図なのかなあ、と……暗澹たる気持ちになったのもまた事実だ。

つまり、とことんまで同質性を求め、異質なものは排除する、という考え方、雰囲気、アトモスフェア。

違うものとは仲良くできない……のだろうかなあ、と。

つまり、この日本社会は、過ちを犯した者が心を入れ替え、更生しようとするのを……応援あるいは支援しようとする姿勢……というものが、諸外国に比して弱いんじゃないのかな、って気がする。

一旦罪を犯したものは一生悪者だ、あるいはまた、いつ何をやらかすか分らないとんでもないやつだ……と、固定概念でその人を見てしまう傾向が強いのではないだろうか、って思う。

刑務所から出てきた人を、迎え入れる、受け入れる側、つまり社会が、おそらく未熟なんじゃないのかなあ、と。
つまりハード的、法制度的にも、ソフト的、人々の心の面でも、と……思う。

僕は塀の中に入ったこともないし、従ってその様子を直接見たこともない。

だけど、塀の中の世界を経験したことのある人の著書などを読むと、少々驚いたことがある。

初犯で入ってくる人、再犯で入ってくる人、あるいは何度も犯罪を重ねて、出入りを繰り返している人……。

複数回刑務所入りしている人には、発達障害に限らず、精神的な障害や知的な障害を持つ人が結構な割合でいるそうだ。
著者は、そういった人々のことを「累犯障害者」と呼ぶ。

やっていいことと悪いことの区別がつかないケース、あるいは、地域に受け皿がなく、刑務所に行けば楽だからと小さな犯罪をあえて犯すケース、色々と書かれていたと思うが……

共通するのは、地域社会で生活し辛いという現実がある、ということだった。

何も犯罪者を庇護するわけではない。
人の物や金を盗る、あるいは人の物を壊す、人の命を殺める……これらは断じて許されない。

要は、障害の有無に関わらず、罪を犯した人が、刑期を終えて塀の外に出てから、真面目に更生しようとしても、
その更生していくための支援体制が十分ではなく、また、世間の目も出所してきた人に対して相当厳しいのではないか、という思いがある。

また、件の裁判員裁判にしても、発達障害に対する理解度が低いままで進んでしまったなあ、という思いだ。

控訴審ではより良心的な判決が出ることを望む。

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